二十一世紀の湯治旅 -三泊四日で行く三朝温泉 –
二日目・自然の癒しと人の癒し
景勝の地「小鹿渓」異聞
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翌朝、一一時からの〝修業〝をこなし約六〇分の爆睡を経た後、依山楼の広田発さんの案内で午後一番に向かうのは小鹿渓。三徳山三佛寺で米田良中ご住職との再会を楽しみにしていたのだが、急遽、「投入堂を含めた三徳山一帯を世界遺産に登録するための集まり(会議)」がちょっと長引きそうだと連絡が入った。そこでスケジュールの前後を入れ替えることにしたのである。
さて、ここで広田さんに加えてこの旅に関わる重要なキャラクターをご紹介しておきたい。日本交通の貸し切り運転手・礒江研二さんだ。私たちが東海道新幹線で東京 新大阪二時間半、そこから「スーパーはくと」で三時間半、あわせて約六時間を費やして鳥取入りしたとき、倉吉駅で出迎えてくれた御仁である。 -
三〇代前半で甘いマスクの持ち主だったので、「さぞかし女性のお客様からの指名が多いでしょうね」とお世辞を言うと、「運選手もホストと同じ。お客さまがいての職業ですから」。若いのに仕事の王道をわきまえておられる。
二日目の午後も礒江さんの運転でスタートしていて、スケジュール変更を広田さんが礒江さんに耳打ちし、向かった先が鳥取の癒しスポット「小鹿渓」であった。三徳川の支流、小鹿川の上流に展開される滝や淵、
そこにゴロゴロ転がる奇岩群のパノラマは国の名勝指定。「絶景」と呼ぶに値する。
約一キロの遊歩道が整備され、森林浴の「ホルミシス効果」も期待できるのだという。ただし、期間限定。新緑の候から初秋までが「鑑賞期間」。国宝・投入堂と同じく、冬場の降雪状況によっては、アクセスが制限されるためである。
日本一危ない国宝鑑賞
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広田さんの指示で、いそえさんが目指したのは県道にある「投入堂遥拝所」。
以前、ご住職を訪ねる機会があったとき、広田さんが車を止めた場所。関西弁で「横入り」といいますが、いわゆる正式の参道ではないルートがその辺りにあったのを覚えている。そのときお会いしたご住職とは、ご挨拶もそこそこにあとはご住職の独壇場。約一時間半、立て板に水、プロの講釈師をも凌ぐ抱腹絶倒の話術を堪能させていただいた。「えー、三徳山は七〇六年の開山と伝えられ、その中腹には岩肌を刳り抜いた空間にピッタリ収まるように「投入堂」が鎮座まします。命名の謂れはふもとで組み立てたお堂を時の超人・役行者がその法力で『エイ、ヤァ』とばかりに投げ入れた、と伝えられておりますが、しかし、多くの資料写真を見るかぎり、岩肌を刳り抜いた総指揮者が測量し、お堂を設計したとしか思えない。お堂を支える柱の長さは一本いっぽんが違う。その寸法を把握できたのは岩肌を刳り抜いた御仁だけではなかろうか?」
断崖絶壁の中腹にあるため、規制がなかったころは参拝される方の滑落事故が絶えなかったという。 -
戦後まもなく、滑落防止と文化財保護のため、参拝者の入堂を禁止したのだが、昨年、一〇〇年ぶりに修復を終えた投入堂の落慶法要も兼ねて人数を制限し、参拝者を募り、全国から女性三名、男性一名が選ばれた。入堂には命綱をつけて登ってもらったそうだ。それほど危ない「国宝鑑賞」なのである。
以来、倉吉駅にも、依山楼のロビーにも「日本一危ない国宝鑑賞」との惹句に蔵王権現立像の厳めしい真横からのショットが組み合わさったB全ポスターが飾られている。「日本一危ない」というコピーはこけおどしではない。ご住職のいつものニコニコ顔が一瞬途切れるシチュエーションを目ざとい僕は捉えていた。投入堂に登られる方々の足元に落とす視線がキラリンと光るのである。ちなみに私のスニーカーをご覧になった刹那、「命の保証ができない」から即座に却下され、「わらじか、ワラ草履が一番ですぞ」とアドバイスをいただいた。もとより、体力のない元がん患者は高所恐怖症でもあり、すぐさまリタイアを表明していたことはいうまでもない。
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あの日から三カ月が過ぎていた。 「お久しぶりです」と僕。ご住職は今回、「立て板に水」の解説員に変貌されていた。 米田また、ええ時に来ていただいて有り難い限りです。前におっしょってくださったように、情報は積極的に開示せなあかんということを思い知りましてですね。守勢にまわるより攻めた方が評価に結びつくんですな。そこで、閃いたのが本堂の建て替えに伴う発掘調査を公開しようと考えた」 加田「さすがですね。『金銀財宝がザックザク』というアドバルーンを上げて世界遺産登録への注意度を増しながら、一見の価値もある、と訴えることができますね」 米「普通の発掘調査は周りをシートで囲んで中を見せないでしょ。私は、旭川市の旭山動物園のニュースで見て『ありのまま』を見せることの重要性に気づいた。そこで現場を透明の強化ガラスで囲むという新しい文化財の見せ方を提案しようと思ったんですな(笑)。雨にも風にも負けない調査は、発掘作業に携わる女性にも影響を及ぼしておりましてね、見られることを意識してか、薄化粧をして発掘作業に勤しむ方もおられます(笑)」 米田節は、あいもかわらず健在だった。その一瞬、僕は強化ガラスの向こうの風景に違和感を覚え、レコーダーを止めてご住職にこう聞いた。 加「えー、ここから拝見していると、右奥の土台の角が少し下がってはいませんか。見た目にはほんのちょっとの段差です」 米「目ざといですな。調査の過程で、どうやら、地下に空洞が生じ地盤沈下が進んだ結果ではないかと先生は推量されています」
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加「ご本尊の土台が地盤沈下で右肩下がりが続いてきたのだとすれば由々しき事態じゃないですか(笑)」米「また、あなたは不吉なことをおっしゃるね(笑)。いったん下がってこそ、次の飛躍があると信じないとだめですよ」 加「そりゃそうだ。因果応報という教えは、マイナス思考で捉えがちですが、良い行いをすれば、それに見合ったプラス効果が待っている、つまり作用・作用というものがありなわけですね」 米「その通り、それが正解です。右肩が上がろうが下がろうが、それはデータ上の動きを眺めた結果でけっしてリアルを写してはいませんな。単に空洞が見つかったというだけで、何故できたのかについてはその空洞を埋める段にならないと、究明できてはいないでしょう。とはいえ、予定通りにいけば三年後、また立ち寄ってくださる理由がこれでできましたな(笑)」 ご住職のことを、僕は心の中で「人間ラドン」と呼んでお慕いしている。対面しお話すると元気がもらえるからだ。 それにもまして、ご住職は、下山される方々に積極的に声を掛けられる。「ご苦労さまでございました、ありがとうございました」。その上で、「どちらからおいでになりましたか? 今日は三朝にお泊りですか、それとも……」。 その答えを聞き終えたご住職は、「旅のご無事をお祈りし、またのご縁をおま四しております」とその背に手を合わせてお見送りされるのである。