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二十一世紀の湯治旅 -三泊四日で行く三朝温泉 –
三日目・土地神に愛されたヒト

料理の癒しもあなどれない

  •  三佛寺の米田住職が豪快さの代表なら、三朝温泉から車で約二〇分、倉吉市関金の「草道」店主・藤田和実さんは寡黙さの代表であろう。

    ↑朝もやの中、1時間ほど車を走らせて秘密の釣り場に着いた。黙々と糸を繰り出す姿は森の住人のようだ↑朝もやの中、1時間ほど車を走らせて秘密の釣り場に着いた。黙々と糸を繰り出す姿は森の住人のようだ

      野山に育った自然の作物が見事に旬を迎えたとき、野草やキノコ、山菜たちが藤田さんを呼ぶのだという。「そろそろ摘みにやって来~い」と。
     川もメッセージを届けてくるらしい。「イワナがまるまると育っておるから獲りに来~い」とか。
     自然の声が呼ぶからと、いそいそと出かけて行く一歳年上の夫の背中を、最初の頃、奥様の千枝美さんは「道楽の言い訳」くらいにしか思っていなかった。だが、実際に釣果や収穫物を抱えて帰ってくるので、「まあ、そういうこともあるのかな」と居間では不承不承ではあるが納得しおられるようである。

  •  寡黙な藤田さんが朝一番に胴付き長靴と釣り道具を車に放り込んでいる音で目を覚まし、「ああ、また、土地神に呼ばれたのか」と諦めて、二度寝する。こうしたことが季節ごとに相次ぐのだから納得せざるをえないではないか。しかもそれらの食材は、お店で供する売り物にはせず、ましてや自らの「まかない」に変わるわけでもない。気に入ったお客さん、とくに湯治場に通ってこられる人たちに、自然が蓄えてきた活力を、少しでも受けてもらいたいと料理を供しておられるのである。写真を見ていただくとわかるだろうが、その「量」が半端ではない。少し料理を残してしまう「罪悪感」に苛まれ、ちょっと凹んでしまうのだ。

    ↑釣った獲物でその日の献立が決まる。超過は尺越えのイワナ。藤田さんは三枚におろし、すり下ろしてから蒸し上げる。「イワナ団子のキノコあんかけ」が本日のメインディッシュ↑釣った獲物でその日の献立が決まる。超過は尺越えのイワナ。藤田さんは三枚におろし、すり下ろしてから蒸し上げる。「イワナ団子のキノコあんかけ」が本日のメインディッシュ

    「その湯で人々の病苦を救え」。妙見大菩薩の啓示こそが、三朝温泉が長きにわたって掲げてきたそもそもの一大コンセプトであったのだ。

道草の定義

  •  藤田さんのお店の看板には、手打ちの「うどん」「そば」、それに喫茶を供すると書かれている。この地に店を構えて三〇年。
    「右に左に揺れながら、まあなんとかここまでやってきたんじゃけんどね。最初はチャーハンとか丼もの、焼きそばも作くっとたんよ(笑)」
     そう述懐される藤田さんの元の職業は、陸上自衛隊の中で精鋭揃いといわれたレンジャー部隊付きの看護師さん。昔むかしの軍隊用語では「衛生兵」というわけだ。赤い十字のマークが付いたヘルメットとおそろいのマークが付いた医療鞄を肩に掛け、常に部隊と行動を共にしていたという。
     道理で、道なき道や、野山や川や、岩だらけの渓流といったロケーションにも、けっしてたじろぐような人ではなかったのだ。
     そんな人間離れしたところに土地神が惚れたのだと思う。人間の形はしておられるが、こいつはりっぱなわしらの仲間(妖怪)である。そう多数決で決まったのではないのかな。
     土地神に愛されたヒトが開いた食堂には「道草」というネーミング。そこにはたとえば人生の「寄り道」などと同様に、ちょっと人生を見つめ直してみよう、という思いがあったのでは?そう勘ぐった僕が藤田さんに糺したところ、寡黙な藤田さんの重い口が開きそうになった。広田さんも礒江さんも、カメラマンの門馬さんも固唾を呑んで身構えていたのだが、藤田さんはあっさりとこう答えた。
    「まあなんとなくやけんど、最初から道草にしようと思うとったんやね。漢字がええか、平仮名がええかくらいしか悩まんかったし、岡山の木山神社にお伺いをたてて感じに決めたんよ(笑)」。これには一同ずっこけたものの、そうか、「道草」は「食う」もので「寄り道」は「する」ものだ。ハナから食べ物屋にピッタリのネーミングだったわけである。

  •  藤田さんが言った。
    「ところでわしの友達が倉吉の駅の近くでイタリアン・レストランをひらいておってね。そろそろ和食も、うどんもそばも飽きる頃じゃろうし、たまにはイタリアンなど、どうかいね?」
     妖怪の友達は妖怪であろうから、卓抜な料理を供してくれるだろうと、広田さんを誘って鳥取最後のディナーはイタリアンに決めた。
     夕方まではたっぷり時間がある。依山楼に戻ってもう「ひとミスト」浴びようかと思ったが、広田さんがもじもじしながらこう言った。
    「出がけに中谷調理長から、ちょっと見てきてくれと頼まれた場所があるんですわ。信じられないくらいの糖度を持った『イチジク』の栽培農場があるどうで、そこに立ち寄ってから、倉吉に引き返し、そこで初日の夜の宴席で加田さんが『おいしい』と言われた日本酒『大吟醸・元帥』の蔵元にもご案内したいと思います……いかがでしょう?」
     その案、のった!

    ↑千枝美さんは病院の看護士さんで、おふたりのなれそめはそのたあたりだと睨んでいる。藤田さんは当時パンチパーマだったそうな↑千枝美さんは病院の看護士さんで、おふたりのなれそめはそのたあたりだと睨んでいる。藤田さんは当時パンチパーマだったそうな

イチジク・日本酒・パドリーノ

  • イチジクの栽培農場は東伯郡琴浦町にあるらしい。礒江さんの運転で、野を越え山越え、風力発電の風車群を横目にしながら行き着いた先が「体験農場ナオ」。代表は浅倉直美さんという元気溌刺を絵に描いたような女性であった。さっそくハウスに案内される。

    ↑イチジクの糖度は普通9〜16度。朝倉さんのイチジクは平均24度。最高糖度は32度に達する。↑イチジクの糖度は普通9〜16度。朝倉さんのイチジクは平均24度。最高糖度は32度に達する。

  •  実をつけてひと月ほどで熟すことから「一熟」の名がついたと言われるほど成長は早いのだが、早いが故に管理には細心の注意を払わなければならない。そのためのハウス栽培なのだという。
     イチジクは熟し始めると尖頂部が弾け、その弾け具合で完熟を報せる。浅倉さんの目利きでもがれたイチジクが差し出され、「皮ごとがぶりといってください」。僕も広田さんも門馬さんも礒江さんも、一口食べて絶句した。代表して申し上げると、たしかに「甘い」。だがその甘さが涼やかなのだ。
     浅倉さんによれば栽培する品種はイチジクの王と呼ばれる「桝井ドーフィン」。今から一世紀以上前に広島の桝井光次郎氏がアメリカから導入したことからこの名がついたらしい。しかも浅倉さんは、本日、我々がお邪魔するイタリア食堂「パドリーノ」にもこのイチジクを納めているのだとおっしゃった。本日のディナーへの期待がいやが上にも高まってしまうではないか。

金の酒、吟の味わい

  •  そして一行は倉吉へ。白漆喰いの壁に焼杉の黒い腰板、小ぶりの石橋が随所に架かる観光名所の一つ倉吉白壁土蔵群。元帥酒造はこの街並みの中にある。
     創業は嘉永元(一八四八)年。社長である倉都祥行さんは、父親が他界され、急遽、家業を継いだ。四五歳の時だ。サラリーマンからの転身だった。

    ↑元師酒造の前ではにかむ倉都さん。このあと驚きの「梅酒」を試飲し、癒しの酒だと結論づけた↑元師酒造の前ではにかむ倉都さん。このあと驚きの「梅酒」を試飲し、癒しの酒だと結論づけた

     それから一五年の間、先々代が大正の初め、東郷平八郎元帥にちなんでつけた「元帥」なる酒銘を、現在に守り伝えてきた。

  •  「子どもの頃から祖父や父親の背中を見てきましたから、酒造りの仕事もスムーズに入れたのだと思います。幼い頃の記憶がちゃんとした手順を指示してくれたのではないでしょうか。ただし、造り酒屋としてのうちのキャパシティを考えると、全国への流通は無理。うちの味を好んでくれるお客さまとだけ、顔の見える商いを続けるのが分相応だと思っています」と胸を張られた。そして、「ちょっと試飲されませんか?」とすすめられたのが、日本酒ベースで作られた梅酒。焼酎ベースの梅酒につきものの、あのべとつき感がなく、黄金色の輝きと後味の切れの良さだけが残る。そのうまさに唸ってしまった。

    ↑この透明感は倉都さんの創意工夫によって実現できたのだと思う↑この透明感は倉都さんの創意工夫によって実現できたのだと思う

イチジクのティラミス

  •  さて、いよいよ「パドリーノ」である。
     藤田さんのお友達、オーナーシェフの加藤正史さんは、地元・鳥取の食材のみを使った「ひと皿」を提供することだけを信条に、この地に戻られて二四年、奥様の景子さんとともに、艱難辛苦を乗り越えて今日があると笑みをうかべた。
     店名の「パドリーノ」は、ローマン・ブランド主演のイタリア映画『ゴッド・ファーザー』の原題(名付け親)だという。それがどういう意味を持つのかにしても、夫が作るひと皿を景子さんがサーブする姿には、夫唱婦随の精神が垣間見えて心地よい。
     旦那様の正史さんは、京都の調理師学校を出て、東京・渋谷の有名イタリアン・レストラン「サバティーニ」に入店し、そこで初めて「ピザ」なるものを食したとおっしゃた。
     今や昔。「サバティーニ」では入店五年目にしてイタリアでの研修が約束されていたのだが、その一歩手前で店そのものがなくなってしまう。
     加藤さん曰く、「それも運命でしょう。本場イタリアでの修業もなしに、イタリア料理を作る。でも、地元の食材を使うという根っこの思想は、いろいろな創意工夫を促す原動力にもなっています」。
     最初の頃はトスカーナ流の固ゆでのパスタが不評をかったりしたものだが、今では加藤さんの「パドリーノ」風に、多くの地元ファンが、また県外からの湯治客にも熱烈なファンが生まれているという。

  •  コースは全七皿、最後が「イチジクのティラミス」で締めくくられた。
    四日目の朝を迎え、最後のラドンミストを終えていよいよ帰京する。帰るとすぐに国立がんセンターでの三カ月ごとの定期検診が待っている。後日、異常ナシとの報告を受けた。
     鳥取名物は砂丘と境港市出身の水木しげるさんが生み出した数々の妖怪が有名だが、三朝を旅して感じたのは、ヒトは志さえあれば、人を越える存在になれるということだ。誌面に登場しない人たちからも、たくさんの元気と勇気をいただいた。「妖怪」の定義は、三朝を訪れてから、各自でお考えいただきたい。

    ↑加藤シェフは写真が嫌いらしい。カメラを向けると自然に目をつむってしまう。この1枚も微妙ですがね↑加藤シェフは写真が嫌いらしい。カメラを向けると自然に目をつむってしまう。この1枚も微妙ですがね

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